2010/04/19

入間市の石仏


より大きな地図で 入間市の石仏 を表示

上谷ヶ貫644 西光院

地蔵菩薩(元文5(1740))
台座を入れると2メートルは越え、菩薩像自体もひとの背丈
ほどもある。おそらく市内でいちばん大きい地蔵菩薩。延命
地蔵として信仰されている。























石仏群
右端:巡拝塔(寛政7(1795))には「西国、坂東、四国、秩父」の
札所名がきざまれている。
観音塔(文化7(1810))、左端:梵字の供養塔(寛政7)には「八
幡山西光院」の銘がきざまれている。ちなみに北側の八幡神社
には毎年10月に獅子舞が奉納される。

2009/11/20

下谷ケ貫 圓光寺

六面幢(宝篋印塔)(安永4(1775))
手元の資料に載っていなかったので今ま
で気付かなかったが、飯能に取材に行く
とちゅうで発見。たびたびとおった道なの
に、こんなにめだっているのに、なぜか
見落としていた。宝篋印塔があるな・・・
宝篋印塔はとくには撮りたいわけでは
ない、などとぼんやり眺めていたら地蔵
の顔が眼にはいり、あわてて撮影。





















同アップ

2009/08/03

木蓮寺 瑞泉院

地蔵菩薩(嘉永3年(1850))(共同墓地内)


いまにも埋もれそうな小仏たち(弁財天?)(金子氏墓地内)


五輪塔は文政3年(1820)造立。(金子氏墓地内)


金子十郎位牌堂(金子氏墓地内)


金子氏一族の宝篋印塔(金子氏墓地内)


金子氏一族の宝篋印塔案内板(金子氏墓地内)

木蓮寺 木蓮寺墓地

六地蔵(六面幢)(文化元年(1804))
六面幢の六地蔵は他には、いまのところ市
内では高養寺(寺竹)と圓光寺(下谷ヶ貫)
以外見出されていない。


地蔵菩薩

寺竹 高養寺

六地蔵(六面幢)と地蔵菩薩(文化10年(1813))
六面幢と境内の灯篭は横浜から移転したもの。
市内では、木蓮寺共同墓地の六地蔵(文化元年)とこの六地蔵以外、六面幢は見いだせていない。


六地蔵(六面幢)(文化5年(1808))
上の六面幢とは上部のつくりがことなるが、上の六地蔵も近い年代のものと思われる。


地蔵菩薩(宝暦7年(1757))を中心にした石像群(板碑に似たものや聖観音等)
地蔵菩薩の台座には「宝暦7年」の銘があるが石材が本体とはことなっており、本尊は別年代と思われる。

高養寺は日ごろご住職はご不在で、ヴォランティアの方が面倒をみておられる。

二本木1217 長福寺

百体地蔵尊
長福寺は坊村の太子堂辺りから、寛文9年(1669年)に關宗玄脱によって現在地に移されたと伝えられている。台石に各家名が刻まれており、各家の祖先の追善供養のために造立されたと思われる。



北向地蔵尊
(宝暦2年(1752))