2009/11/20

下谷ケ貫 圓光寺

六面幢(宝篋印塔)(安永4(1775))
手元の資料に載っていなかったので今ま
で気付かなかったが、飯能に取材に行く
とちゅうで発見。たびたびとおった道なの
に、こんなにめだっているのに、なぜか
見落としていた。宝篋印塔があるな・・・
宝篋印塔はとくには撮りたいわけでは
ない、などとぼんやり眺めていたら地蔵
の顔が眼にはいり、あわてて撮影。





















同アップ

2009/08/03

木蓮寺 瑞泉院

地蔵菩薩(嘉永3年(1850))(共同墓地内)


いまにも埋もれそうな小仏たち(弁財天?)(金子氏墓地内)


五輪塔は文政3年(1820)造立。(金子氏墓地内)


金子十郎位牌堂(金子氏墓地内)


金子氏一族の宝篋印塔(金子氏墓地内)


金子氏一族の宝篋印塔案内板(金子氏墓地内)

木蓮寺 木蓮寺墓地

六地蔵(六面幢)(文化元年(1804))
六面幢の六地蔵は他には、いまのところ市
内では高養寺(寺竹)と圓光寺(下谷ヶ貫)
以外見出されていない。


地蔵菩薩

寺竹 高養寺

六地蔵(六面幢)と地蔵菩薩(文化10年(1813))
六面幢と境内の灯篭は横浜から移転したもの。
市内では、木蓮寺共同墓地の六地蔵(文化元年)とこの六地蔵以外、六面幢は見いだせていない。


六地蔵(六面幢)(文化5年(1808))
上の六面幢とは上部のつくりがことなるが、上の六地蔵も近い年代のものと思われる。


地蔵菩薩(宝暦7年(1757))を中心にした石像群(板碑に似たものや聖観音等)
地蔵菩薩の台座には「宝暦7年」の銘があるが石材が本体とはことなっており、本尊は別年代と思われる。

高養寺は日ごろご住職はご不在で、ヴォランティアの方が面倒をみておられる。

二本木1217 長福寺

百体地蔵尊
長福寺は坊村の太子堂辺りから、寛文9年(1669年)に關宗玄脱によって現在地に移されたと伝えられている。台石に各家名が刻まれており、各家の祖先の追善供養のために造立されたと思われる。



北向地蔵尊
(宝暦2年(1752))

2009/07/31

春日町1-7 繁田氏宅きわ

地蔵菩薩(天明2年(1782))
頭部が壊れて丸石にかわり、シュールな地蔵菩薩になっている。
「左入間川 川越 右所沢 江戸」の道標を兼ねる。
郷土民芸館から笹井の渡しに至るみじかい距離ながらも、この
古街道筋には多くの石仏がまつられている。しかもすべて個人
の方が庭先や門のきわで手厚く管理されている。

2009/07/27

豊岡3-10 市民会館駐車場

馬頭観音(寛政元年(1789))
中の地蔵堂にちかい、木陰に据えられている。

久保稲荷2-11-8

馬頭観音

2009/07/26

2009/07/18

根岸 根岸子育地蔵

根岸子育地蔵
天明2(1772)年武州多摩郡に建立したものを、文政5(1822)年当地に移築。


根岸子育地蔵の地蔵菩薩と石像群
右端の地蔵以外、ほとんどかたちが崩れてしまっている。造立年号も不明。

新久936-1 岡野宅傍

馬頭観音(元禄5年(1692))

もとは、金子氏ゆかりの旧金子坂を登ったところにあった。仏子へつうじる急坂を登り下りする馬の守り神として建てられたのだろう。

2009/07/17

宮寺 西勝院境内

六地蔵(安政5年(1858))
これに似た六地蔵が大森会館内(宮寺)にもあり、造立もおなじ幕末の万延元年。
(西勝院には、武蔵七党のひとつ村山党の宮寺氏の居館跡がある。)

2009/07/16

仏子1263 庚申神社

庚申神社



庚申塔(安永9年(1780))←庚申祭のさい、撮り直し予定


※他に地蔵3体

春日町1-6-17 諸井宅内

馬頭観音(明和6(1769))
光背に宝殊を置くのはきわめて珍しい。

宮前町3-26 諸井宅内

庚申塔(宝暦5年(1755))


庚申塔といっしょに橋供養塔も据えられているのは、個人宅に祀られているものとして異例といえる。

2009/07/15

黒須1-8 国道16号線沿

地蔵菩薩

高倉4-7 国道16号線沿

地蔵菩薩
左端の自然石は「八代龍王」と刻まれている。

2009/07/14

宮寺大聖寺山

庚申塔(元禄6年(1693))
狭山湖につうじる山道に、苔むしたすがたでたたずんでいる。

(同上)側面の蓮の花が大胆で、いかにも装飾的。

不老川の源流(伏流水出口)

狭山湖を源流とする伏流水は、瑞穂町の16号線脇から地上へとつながっている。
ここから所沢市、入間市、狭山市へとながれ、川越市の新河岸川に合流する。


不老川源流付近で食餌するセグロセキレイ

2009/07/12

二本木 寿昌寺

閻魔大王(享保13年(1728))


同上(胸部)


地蔵菩薩①(寛文11年(1671))
市内最古の石像地蔵菩薩。


地蔵菩薩②(享保8年(1725))


地蔵菩薩③(享保13年(1730))

宮寺 西久保観音堂

西久保観音堂

宮寺2002-2 ハタヤの稲荷

ハタヤの稲荷
失せものを見つけ出してくれるという伝承をもつ。卵をお供えにするのがユニーク。
近くには出雲祝神社と西久保観音堂がある。

宮寺南矢萩おまん坂

大日如来
トトロの森のようなうっそうとした茂みのなか、石段を数段のぼれば、2体の大日如来が迎えてくれる。


大日如来(むかって左)(明治31年(1898))


大日如来(むかって右)(慶安3年(1650))
市内唯一の石像大日如来、ただし台座のみ当初のもの。

2009/07/10

宮寺2595 大森会館裏

旗本大森氏・加藤氏の宝篋印塔



旗本大森氏・加藤氏の宝篋印塔の案内板

宮寺2595 大森会館内

小高い台地に立つ六地蔵(万延元年(1860))


同上
地蔵菩薩が2体ずつ正面と左右面の3面に刻まれ、裏面に文字が彫られている。おなじような六地蔵が西勝院(宮寺)にもあり、造立もおなじく幕末の安政5年。

宮寺1609

狭山越えの分岐点にたつ祠



庚申塔(享和2年(1802))