2009/05/26

野田 山王塚

山王塚には文字塔をふくめて庚申塔と馬頭観音等、計12基
造立されている。すべてが最初からこの地に据えられたわけ
ではなく、近辺から移設されたものもあるという。


山王塚全景



山王塚前列


庚申塔(1)(明和9年(1772))


庚申塔(2)(宝永3年(1706))


庚申塔(3) 寛文12年(1672)


庚申塔(4) 寛文8年(1668)
三猿では市内最古の庚申塔。


庚申塔(5)(延享3年(1746))


庚申塔(6)(元禄9年(1696))


馬頭観音(宝暦12(1762))

2009/05/22

上藤沢189

地蔵菩薩(享和元年(1801))

上藤沢673

庚申塔
造形的にしっかりしており、美しい肉彫り

2009/05/19

下藤沢 本山霊園

地蔵菩薩(延宝8年(1680))
二本木(寿昌寺)の地蔵菩薩についで、市内で2番目に古い。どちらとも立像。
ちなみに、3番目は上藤沢六道の天和2年のもの。


地蔵菩薩(延享3年(1746))

下藤沢1030

庚申塔(天明元年(1781))

上藤沢藤沢橋際

これらの像は、道路整備のさいまとめられた。右端=道標。2、3番目は関谷氏が建立。4番目=石橋供養塔。左端=大日如来(正徳元年(1711))で、もとは川縁にあり、洪水で頭部を破損。

2009/05/18

野田 谷田ノ泉西

庚申塔(享保2年(1717))
タイムスリップしたかのような雑木林のなかにあり、歩を進めると谷田ノ泉が湧き出している。
林のそとには馬頭観音がすえられているが、ここは道教と神道の色彩の濃い庚申塔のみ。縄文時代から湧出しているという、泉と木の霊性が仏教臭をあまり好まなかったのだろうか。

野田 谷田ノ泉

谷田ノ泉
谷田ノ泉は縄文時代から湧き出ているといわれている。入間川をはさんだ対角線上のおなじ標高の場所(小谷田)には、旧石器・縄文時代の丸山遺跡、縄文時代(早期・前期)の坂東山遺跡がある。縄文人が狩りのあいだに喉をうるおしたのかも・・・

古老によれば、丘が切り開かれるまではこの付近は大きな川が流れ、水に恵まれていた。先の戦争までは下池・上池とよばれた池もあって、田植えや草取りのときには膝までもぐって農作業をしていたという。水田を意味する(谷戸から)谷田という地名にもそのおもかげはくっきりと刻まれている。(ちなみに野田とういう地名も湿地を意味する。)
付近には馬頭観音(文字塔)も何躰かすえられている。農作業にはげんだ牛馬を供養したものだろうか。



谷田ノ泉案内板

野田 白髭神社南坂

地蔵菩薩

2009/05/16

野田388駐車場

地蔵菩薩(元禄5年(1692))


上藤沢227

地蔵菩薩(享保16年(1731))



地蔵菩薩(慶應4年(1868))
いまにも元の自然石に還りそう。

下藤沢365 辻堂墓地

馬頭観音(宝暦7年(1757))


地蔵菩薩(元禄15年(1702))

2009/05/15

上藤沢959-7 石田食堂前

馬頭観音(安永10年(1781))



馬頭観音(同上)の顔

下藤沢723

馬頭観音(寛政7年(1795))


上藤沢六道

六地蔵全景
むかしは畑のなかの五差路だったが、いまは住宅街のロータリーに安置されている。


地蔵菩薩(天和2年(1682))


地蔵菩薩(享保4年(1719))


地蔵菩薩(享保8年(1723))


地蔵菩薩(享保10年(1725))




地蔵菩薩(享保16年(1731))


地蔵菩薩(享保19年(1734))

Panoramio - Photos by yuyuoyaji

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