2009/06/26

下藤沢391 沢田宅内

地蔵菩薩(明和2年(1765))
もとは県道(8号線)沿いの熊野神社近くにあったのを沢田家の引越しとどうじに平成14年に移設。

下藤沢980 不動院

十三仏結衆板碑(文明2年(1470))
市内ではもっとも装飾的な板碑。
板碑は死者の追善供養のためにつくられたものが多いが、これは秀賢その他が結衆をつのり、自らの死後の安楽をねがって建立したもの。

(江戸時代の庶民信仰の石仏とはちがい、主体が武士であり、また年代も異なるが、死後の菩提をねがう点では共通するといえる。他の板碑もおもだったものは収載する予定。)



地蔵菩薩

西三ツ木公会堂西

地蔵菩薩(元治2年(1868))

上谷ケ貫497 墓地入口

地蔵菩薩(宝永6年(1709))
富士山の宝永大噴火の犠牲者を弔って、富士の見える当地に祀られた。顔はこわれ、新しく付け替えられているので、いかにもバランスが悪い。

上谷ケ貫西光院前

庚申塔(宝永6年(1709))



同庚申塔と文字塔(天保7年(1836))

下谷ケ貫坂下墓地入口

左端の馬頭観音(文字塔)は「右八王子、左江戸」の道標も兼ねている。曲がりくねった坂道に苦労した馬のすがたが思いおこされる。


庚申塔(正徳5年(1715))

根岸バス停横

庚申塔(宝暦12年(1762))
踏みつけられている邪鬼がわらっているように見える。

2009/06/20

木蓮寺527地先

庚申塔全景
茶畑へと通じる坂道のとちゅうにあり、自然ゆたかな風景のなかにとけ込んでいる。すぐ下を流れる霞川の下流、南峰や寺竹などの右岸にも庚申塔が据えられている。



庚申塔(文化5年(1808))

西三ツ木馬頭坂

庚申塔(享保16年(1731))
三ツ木台の集落から茶畑につうじる坂のとちゅうにある。三猿が庚申像にくらべて大きい。


寺竹 八瀬橋際

庚申塔(延享元年(1744))
笠つきの重厚な塔。

木蓮寺818

地蔵菩薩(安永8年(1779))

南峯340

庚申塔(寛政10年(1798))



庚申塔の一部
踏みつけられている邪鬼の表情が人間的でユニーク。

中神904 旧青梅街道(茶どころ通り)沿

地蔵堂百万遍供養塔(寛政5年(1793))
昭和45年頃、道路改修のため東側から現在地へ移設。
百万遍供養塔(寛政5年(1793))には「是よりはやし 江戸」「これより二本木 大山」「是より阿ふめ みたけ 是よりあふきまちや川越」「これよりやがぬき 子ノごんげん」の文字がきざまれている。とうじも主要な交差点だったことがわかる。



地蔵菩薩(宝永5年(1708))

2009/06/19

仏子1511 高正寺

板碑
向かって右から2番目は下部が破損しており、制作年代が
不明だった。平成10年に金子氏ゆかりの家(山口県萩市)
から記録が発見され、寛元4年(1246)1月20日に制作され
たことがわかったことから、市内最古の板碑とされている。
右から4番目は建長2年(1250)で、市内で2番目に古い。
(庶民信仰の石仏とはちがい、また年代も異なるが、重要
な石造文化財なので収載。)

2009/06/10

仏子15

庚申塔(安永4年(1775))

2009/06/09

鍵山3-2-4 西沢宅内

馬頭観音(寛政10(1798)

いまは西武鉄道に分断され、西沢家の庭になっているが、かつては小谷田~黒須をむすぶ古道に面していた。小谷田への上り下りにあえいでいた馬たちを供養したものだろうか。


高倉4-4-7 氷川神社境内

地蔵菩薩
昭和58年(1983)に境内より出土。享保年間の造立と推定されている。

扇町屋3-513-1 上の地蔵堂

上の地蔵堂


地蔵菩薩(元禄5(1692))
「左八王じみち 右おう免みち」の道標を兼ねている。

東町3-4 地蔵堂

六地蔵
中央の地蔵菩薩は安政2年(1844)の造立。他の6体のうち右端は天明3年(1783)、2番目天明5年、3番目享保8年(1723)、他の3体は造立年不明。



地蔵菩薩(天明7年(1787))

2009/06/08

高倉3-3-4 高倉寺

地蔵菩薩



地蔵菩薩(元禄9年(1669))と馬頭観音(寛政4年(1792))

野田731 吹上観音堂

観音堂
規模は小さいながらも整然としており、秩父札所か鎌倉辺を想い起こさせる瀟洒なたたずまい。


聖観音
市内の聖観音3体のうちの1。
全体を大胆な曲線で表現しているのが珍しい。

豊岡3-10-10 市民会館横 中の地蔵堂

仲町子育延命地蔵尊(享保10年(1725))
光背の上部はすこし破損しているが、いまも厚い信仰をうけており、すがたはほとんど拝めない。


仲町子育延命地蔵堂
以前の表通りから北側に移転。

2009/06/03

豊岡1-1 温故公園

大日如来(向かって右)と弘法大師



地蔵菩薩(延享4年(1747))

春日町2-9-1 蓮花院

馬頭観音(天明3年(1783))。
左右の文字塔も馬頭観音で、右は文化年間、左は嘉永7年(1854)の造立。
右の文字塔の側面には「左ハ入間川川こえみち 右はしんかわみち」の文字が刻まれ、道標をかねていた。
いずれも黒須馬頭坂より移転。


地蔵菩薩(文化6年(1809))
数十メートル先の霞橋際から移転。


地蔵菩薩
江戸から逃れてきたところを殺害された彰義隊士を供養。
台座正面には「北くろすみち」、右面には「西 町屋道」、左面には「東 いりま川道 かわこえ道」、裏面には「南とうきょう道」と彫られ、道標をかねていたこた。
豊岡高校傍から移転。


六地蔵(安永6年(1777))

春日町1-13-3 笹井堰際

地蔵菩薩(明治7年(1874))
かつて、笹井の渡しは飯能・秩父へのルートだった。

宮前町1-9

地蔵菩薩

豊岡1-13 長谷部家墓地下

馬頭観音(天保6年(1835))

豊岡1-11-1 アイポット角

地蔵菩薩(享保4年(1719))



馬頭観音


道祖神(享保2年(1802))
市内唯一の道祖神。

2009/06/02

野田 下池共同墓地

地蔵菩薩(明和7年(1770))

すぐ傍に馬頭観音(文字塔)もあり。谷田ノ泉を過ぎたあたりにも馬頭観音(文字塔)がある。これは一帯が田圃で、農耕のため牛馬が飼われていた残滓だろう。

野田276

庚申塔(享保17年(1732))

仏子 八坂神社

馬頭観音(天明5年(1785))

仏子(ぶし)という地名は結節点を意味するといわれている。八坂神社の南には西武鉄道をはさんで小高い山(天王山)があり、山との結び目に位置する。山中には金子へとつづく旧金子坂があったと思われる
。その先の金子には(いまは新久936 岡野宅傍)馬頭観音がまつられ、天王山の南北で馬頭観音が往来する人馬をみまもっていたのだ。とはいうものの、金子の馬頭観音はこれよりも100年ちかくまえに造立されていたのだが・・・

仏子1095

観音堂


聖観音(元禄4年(1691))
市内の聖観音3体のうちの1。