馬頭観音(天明5年(1785))
仏子(ぶし)という地名は結節点を意味するといわれている。八坂神社の南には西武鉄道をはさんで小高い山(天王山)があり、山との結び目に位置する。山中には金子へとつづく旧金子坂があったと思われる
。その先の金子には(いまは新久936 岡野宅傍)馬頭観音がまつられ、天王山の南北で馬頭観音が往来する人馬をみまもっていたのだ。とはいうものの、金子の馬頭観音はこれよりも100年ちかくまえに造立されていたのだが・・・
埼玉県入間市内の石仏です。 写真は原則的に明治以前に造立された彫像に限定して掲載しました。文字塔の写真は省き、地図上に所在だけマークしています。 また原則として墓地内のものは除きました。(一部アップしてあります。) 参考文献:『入間市古道と石仏を探る』(入間市文化財研究同好会著-平成19年11月17日発行)
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