左右の文字塔も馬頭観音で、右は文化年間、左は嘉永7年(1854)の造立。
右の文字塔の側面には「左ハ入間川川こえみち 右はしんかわみち」の文字が刻まれ、道標をかねていた。
いずれも黒須馬頭坂より移転。

地蔵菩薩(文化6年(1809))
数十メートル先の霞橋際から移転。

地蔵菩薩
江戸から逃れてきたところを殺害された彰義隊士を供養。
台座正面には「北くろすみち」、右面には「西 町屋道」、左面には「東 いりま川道 かわこえ道」、裏面には「南とうきょう道」と彫られ、道標をかねていたこた。
豊岡高校傍から移転。

六地蔵(安永6年(1777))
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